最後の駅の向こう

何でもすぐ忘れる人の特に記憶に残しておきたいライブの簡易レポートと趣味のレビューの予定。あくまで予定。

9mm Parabellum Bullet「BABEL」2017/05/10

 

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2016年11月5日、豊洲PIT

ツアー“太陽が欲しいだけ”追加公演終演直後に突然告知されたアルバム

それが9mm7枚目の、後に「BABEL」と名付けられることとなるアルバムである

 

 

収録曲全10曲、すべてが新曲。最近のアルバムではメンバー全員が作詞作曲に携わっていたが、今作は全曲作詞を卓郎さん、作曲を滝さんが担当。しかも滝さんがかなり作り込んだほぼ完璧なデモを作り、それを元に制作されていること、歌詞も滝さんが卓郎さんにイメージを伝えてから書かれた、というだけにアルバム全体の統一感はこれまでの音源の中で一番だと言っても過言ではない。

 

収録曲がまだ解禁される前、卓郎さんは今作について「岩の塊」と表現したり、リリースが近づくにつれてライブで毎回のように「きっと初めて9mmを聴いた時のように驚く」と仰っていた。

初期9mmが“速い、暗い、日本語”というコンセプトだった、などと聞いた覚えがあるのを思い出し、これまでの曲を超えるような激しくて分厚い音のアルバムなのだろう、と期待をしていた。

実際、豊洲で観たアルバム告知映像で流れていた新曲と思しき一節はかなり激しそうなサウンドであった。

 

ところが、今作の中で最初に解禁されたのが5曲目の「眠り姫」で、卓郎さんが今作を言い表した言葉“岩の塊”というイメージが全く浮かばず、次いで解禁された4曲目の「ガラスの街のアリス」も激しいところはあれどイメージ的には岩というよりもそれこそ繊細な工芸のような美しさもあり、どういうことか…と思っていたがいざ全曲聴いてみると実はその他の曲が激しかった、という。それを狙ってこの順番での解禁になったのかは分からないが、リスナーを驚かせるには最も効果的だったのではないだろうか。

 

音についての第一印象は予想通り、いやそれ以上にやはり分厚い音であったこと、特にギターについてはアルバムの1曲目のイントロからけたたましいタッピングで幕を開け、その後もタッピングが多用されていたり、ギターに関しては前作「Waltz on Life Line(以下WoLL)」の「火祭り」で登場した“ライター奏法”や新たに出てきた“ガムテープ奏法(後述)”などのぶっ飛んだサウンドが多々あり、滝さんが現在腕に不調を抱え9mmのライブをお休みしている状況だなんてとても信じられないような完成度である。ライブで観ると、これまでもただでさえ手数の多かったドラムが更に複雑になっているように感じられるあたりにもこのアルバムのエクストリームさが出ている。

 

歌詞について。最近の9mm曲は力強い言葉、前向きな表現が多くなってきた印象だったが、今作はその系統の歌詞もありつつ迷いや苦悩を連想させる言葉が多く、じっくりと読んでみると、若者のやりきれなさが滲み出ているようだった「Termination」あたりの詞に近いような、そんな気がした。

ただ今作の歌詞は読めば読むほど、ライブで実際に聴けば聴くほど多くの箇所について、これは9mm自身について歌っているのではないか、としか思えない言葉が多く、どちらかというと抽象的な表現の多かった初期とはこの辺りで違いがある。

 

そのような特長があり、アルバム全体から烈々たるエネルギーを感じさせる今作を卓郎さんは自信をもって「初めて9mmを聴いた時のように驚く」と表現されたのでしょう。

9mmと出会った時から一度も離れず聴き続けているファンにはもちろん、初期に9mmと出会い、何らかの考えがあって現在は9mmと距離を置いている人が聴いても少なからず驚きや衝撃があるようなアルバムなのではないかと信じている。そういった人達が音源か、それともどこかのライブか、フェスか、とにかく何らかのきっかけで今作を耳にする機会を持ってもらう事ができたら、と願って止まない。

 

 

リリースから既に半年以上が経ち、もう何度もライブで聴いてきたので今では冷静に聴くことが出来るようになったが、実はリリース直後、今作を聴いて真っ先に受けた印象は

「怖い。何だか分からないが怖い。」

というものだった。

 

自分でも理由はよく分からなかったが、曲たちを構成している音の一つ一つは確かに慣れ親しんだ「9mmの音」なのに、何だか得体の知れないものを覗き込んでいるかのような、体の中をじわじわとどす黒い何かに侵食されるような、思い出してはいけない何かを引っ張り出されるような。

聴き始めて最初の一週間は完全にアルバムの雰囲気に呑まれ、普段のように歌詞やパート毎の細かいところに集中することもできなかった。

それと同時に、もう10年近く聴き続けているバンドの新譜で「怖い」と思える程の衝撃を受けるなんて凄いことだ、本当にとんでもないバンドだと実感しそれが素直に嬉しくもあった。

 

理由が分からないままリリース1ヶ月後からツアーが始まり、実際にアルバムの世界観を耳からだけでなく視覚からも受け取ることで得体の知れない怖さの正体が何となく掴めてきた。

それは卓郎さんがツアーのMCで、今作について

「BABELはおれたちの喜びや迷いや苦しみもすべて入っている」

と仰っていたから。

 

やはり卓郎さん自身や恐らく9mmが置かれた現状についての苦悩が少なからず取り込まれていて、9mmを観続けてきた身として昨今の9mmから感じていた僅かな不安と、元々の自分の思考がかなりそれに影響を受け、漠然とした怖さを感じていたのだろう、と結論付けた。

この怖さは9mmが困難な中でこんなに素晴らしいアルバムを作れた、という卓郎さんの言葉や、聴き続けるうちに不安の中にも僅かな希望を感じられるようにもなった。

 

 

アルバム全体については以上です。

以下、主観とライブで聴いた感想も交えて1曲ずつ。

 

  1. ロング・グッドバイ

いきなりけたたましいタッピングから始まり、一聴目から驚かされた曲。また、別れを連想させることから聴く前には若干動揺しかけましたが聴いてみるとむしろ始まりを想起させる曲だった。

「旅に出かけよう」の部分で入ってくるベースのスラップと最後のサビに入る前のだんだん大きくなり突き抜けるようなスネアの音から(9mmの曲ではしばしば登場する)ギターのナットとペグの間の弦を鳴らす「キーン」という音、更に畳み掛けるように入ってくるドラム、の流れがとても好きなところ。

「TOUR OF BABEL Ⅱ」で滝さんが9mmライブに一時復帰した時に演奏された曲で、滝さんがギターを弾く隣で卓郎さんが「僕には君がいれば何もいらなかった」と歌った時には言葉にならないくらいの嬉しさがありました。また、毎回最後のサビで一際力を込めて卓郎さんが「すべて壊してやるのさ」と歌うのがまるでこの困難な状況だって打破してやる、と言っているように聴こえてならない。

 

  1. Story of Glory       

これは聴いた瞬間に今の9mm自身のことだ、と思った曲のひとつ。ただ、「さえない栄光」という部分は決して当てはまらないけれど。その「さえない栄光の日々に」の部分で鳴るファンファーレのようなギター、「僕らは確かめた 風の中で」の部分での、パンク的なリズムにゆったりしたメロディーが乗っているあたりに貫録のようなものを感じる。

ライブで聴く「おれたちは今夜無敵なんだ」の部分では本当に9mmが無敵に見えるし、「ステージに刻まれたいくつもの奇跡を 思い出して 終われないって」の一節は今作に怖さを感じていた時にも9mmはきっとまだまだ終わらないんだ、と思わせてくれた。

(余談ですが一聴目はサウンド的にはjammingに近いなとつい思ってしまって、面白いな、と。)

 

3.I.C.R.A

全体的にシリアスな今作において、一番コミカルさのある曲。タイトルもサビの「愛し合え」から取っていて。この「愛し合え」がライブだと大合唱になって、あれだけの大人数で「愛し合え」って叫ぶ痛快さ。

間奏では凄まじいタッピング、Cメロでは前作WoLL収録の「火祭り」で異彩を放っていた、100円ライターをスライドバーのように使う「ライター奏法」、更にアウトロの和彦さんのシャウトの裏では弦の上にガムテープを張り、それを引っ剥がしてノイズを出した「ガムテープ奏法」によるユニークな音が詰まっているあたりが面白いところ。

個人的に好きなのはサビの「おやりなさい」の「さい」の部分の卓郎さんの伸び伸びとした歌い方。

 

  1. ガラスの街のアリス

近未来的というか、無駄のないシャープさがあり、歪んでいるのに透明感のようなものを感じる。4つ打ちに近いリズムがとっつきやすさもあり、フェスやイベントでもとても盛り上がっていました。

イントロ、タイトなギターのスタッカートとシンバルミュートから始まりツーバス連打へ、からしなやかなメロディーに続く。ライブではかみじょうさんがシンバルをミュートするところが大好きで、このイントロは決まってドラムに目を向けがち。個人的には是非そこに注目して頂きたいです。

最低限の登場人物と物寂しさや儚さを感じさせる言葉が並ぶ歌詞がさながらショートフィルムのよう。

「君」が「砂」になっても愛し続ける「ぼく」も、「最後の砂」になっても愛される「君」も、なんて美しいのだろうか。。

 

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  1. 眠り姫

今作で最初に解禁され、事前情報からのイメージとあまりにかけ離れたサウンドに驚かされた曲。

ゆったりとしたテンポと、9mmにしては激しい起伏があまりないリフ。その中でも太い音が目立つ、これまたゆったりとしたベースラインがうねる。

淡々と進んでゆくような前半。しかしライブでかみじょうさんの手元を見ると(ドラムは詳しくないので見たままの感想ですが)実は複雑な動きをしていたことに驚きました。間奏は夢現のような、鬱蒼とした場所に迷い込んだような深いリバーブが重なり、ホールツアーではリバーブのサウンドが会場全体を包み込むようだったのが幻想的にも思えた。その直後、現実を叩きつけるかのようにだんだん音が盛り上がってゆき、何かが迫りくるかのようなドラムの怒涛の3連符へ繫がる曲展開。ここが個人的には好きなところ。

 

この曲は初めて、歌詞を先に書いた曲とのこと。

寓話のような歌詞に込められたテーマは「原子力発電」だという。かつて9mmは「NO NUKES」にも出ていたので、この話題についてどういう思いを持っているのかは察するに難くない。

ただ、やわらかい表現を使って遣る瀬無さや行き場のない思いを感じさせるところ、特に「眠りたい 君を抱いて」という一節が単純に“排除”や“拒絶”で片付けるのではなく根本的にどう向き合えばいいのか、に目を向けているような気がしてその視点がとても卓郎さんらしいな、と思った。

 

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  1. 火の鳥

眩い、神秘的、荘厳。

曲が始まってしばらくは大空を舞うような悠々としたイメージ、続くツーバス、チャイナシンバル連打とギターのタッピングの音が煌めく。サビの凄まじい開放感は雲間から差し込む強い陽光のよう。2番の歌の裏で鳴る異国風の響きのリフも荘厳さがあり、まるで人の力ではないようなものを感じさせるような神秘的な曲。そんなことを初めて聴いた時に思いました。

サビ前の4小節、“ダッ、、ダダッ、、ダダダッ、ダダダダッ”と八分音符ひとつ分ずつ増やしながら、卓郎さんギター、ベース、ドラムが同じリズムを刻むところ、あの高揚感が堪りません。

ライブでも終始キレのある演奏で、最後の一音をスパッと止めた後の一瞬の余韻と静寂がまたとても良い。

ちなみに「TOUR OF BABEL」の神奈川と神戸では原曲通りのキーで演奏されましたが、名古屋公演以降は全て半音下げのキーで演奏されています。ボーカルのキーが高かったからなのか…。「眠り姫」も半音下げチューニングなので、ライブでは続けて演奏されることが多い。

ロッキンにて、晴天の野外で聴いた時の突き抜けるような開放感は今でも鮮烈に思い出せるくらい、素晴らしかったです。

「奈落に生まれ落ちた火の鳥よはばたけ」という一節につい9mmを当てはめて聴いてしまう。「輝かしい日々へと」もの凄いエネルギーを放ちながら活動を続けた今年の9mmを。

 

  1. Everyone is fighting on this stage of lonely

「太陽が欲しいだけ」豊洲PIT公演終了直後に会場で公開されたアルバムリリース告知の映像で流れていたのがこの曲のイントロだったので、厳密には最初に解禁されたのはこの曲。(YouTubeで公開されている映像は「太陽が欲しいだけ」に差し替えられているので、会場で観た人だけがいち早く聴けたということになる)

全体的に重たいパンチを繰り出すかのようなアレンジが9mmらしい。Aメロでの壮絶なカッティングが切羽詰っている感を出し、サビでたっぷりと音を伸ばしながら歌う「戦え」の一言が強大な何かに立ち向かう時に気持ちを鼓舞する。既発曲の「ラストラウンド」を彷彿とさせるがあの曲の歌詞よりも更に追い詰められた状況を歌っているかのよう。

間奏のツインリードからは若干哀愁のような感じもあり、挫折を乗り越えて最後のサビに向かうようなドラマチックな展開。壮大さのある最後のコーラス、ライブでは何とかみじょうさんも歌っています!間違いなく2017年の9mmにおける重大な出来事です。

「君の勝利を誰も望まなくても 生き残れよ」と、ただ戦うのではなく“ただひとりで”戦う事を肯定してくれることが、どれだけ嬉しく、どれだけ頼もしく思えたことか。

 

  1. バベルのこどもたち

事実上の表題曲。今作を聴き始めた頃に「怖い」と思っていたのは恐らくこの曲の影響が一番大きい。

イントロから不穏な空気が漂い、音の壁が迫りくる、Aメロでまた不穏な空気に戻る。

Bメロで、ドラムが複雑なリズムを繰り出し次いでギターとベースが揃って同じフレーズを弾く部分の、ドスの利いた低音が音源でもライブでも毎度聴き惚れるところ。

積み上げたものがいとも簡単に崩れ、路頭に迷い、見放された哀しみ、そんな感情に徐々に引っ張られていって間奏へ。間奏の音圧は音源でも充分迫力がありますが、ライブでこの曲と対峙した時には思わず立ち竦む程に圧倒されました。この部分の凄まじい音圧とここで入ってくる和彦さんの渾身のシャウトに絶望感を叩きつけられたような気分になってものすごい力で曲の中に一気に引き込まれるような感覚。

最後のサビからは何もかも崩れ去った後の僅かな希望を感じさせるようにも思えます。

詞も音もとにかく重く、間違いなく今作の核を担うこの曲、今年フェスやイベントでも何度もセトリに入りました。勿論ファンとしては嬉しいけれど、ライト層のリスナーにとっては初見で聴くのは重た過ぎることも想像できるはず。勝手な憶測ですがそれでも何度もセトリ入りしていたのは、出来る限り多くの人にこの曲を、「BABEL」という素晴らしいアルバムを届けたかったのではないか、と思っています。

 

  1. ホワイトアウト

重厚な「バベルのこどもたち」から一転して優しげな歌声、エレガントでノスタルジックなギターソロ。

前曲との対比で一層繊細さが際立っています。

寂寞感のある歌詞は読んだまま受け取ると別れや過日を惜しむ曲、しかし演奏する本人たちのことを思い浮かべると全く違う意味にも捉えることが出来る気もします。

最後のサビの前、「どれだけ昨日が」の部分、優しげな歌声と繊細なクリーンパートの掛け合いが美しい。

ライブでは真っ白な照明や、会場によってはミラーボールを使いさながら雪景色のようになり、ホールの大きな空間がこのエレガントなメロディーと雪景色で包まれた際には息を呑む程の美しさでした。

 

10.それから                         

土砂降りのように音が降りそそぐイントロ、邪悪なリフと終始モノローグのような歌詞で綴られる。

ライブではまた独特な空気が流れ、「悪魔のささやきは自分の声でした」で切れかけた電球が点滅するようなスポットライトを浴びながら、その後も歌詞を手振りで表現しながら歌劇のように歌う卓郎さんに、えもいわれぬ迫力を感じるようでした。心の「上澄み」だけで「浮かれた世界を沈めていく」程の陰鬱さを抱えた歌詞と中盤の語り口調のモノローグから、最初は気が狂う寸前の人のイメージすら思い浮かんでいた程。

様々な解釈の余地があるとは思いますが、聴き進めてゆくうちに救いの曲のように聴こえるようになった。

それは

「何が降ろうが逃げられないなら わたしはあなたと濡れていたいのさ」

「どんな未来が待ち受けていても わたしはあなたと苦しみたいのさ」

「どんな未来が待ち受けていても わたしはあなたと乗り越えたいのさ」

これが、今の9mmに完全に重なって聴こえるから。

 

 

 

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2016年後半、9mmは満身創痍だった。

 

 

周知の通り、滝さんの腕の不調により9mmは“いつも通り”のライブができなくなった。

ツアー前半は中止(結局アコースティックという形式で全箇所廻ったが) 、またツアー後半はサポートギタリストやゲストバンドを迎えて何とか開催できた。

ツアーが終わったら、2017年になったら、9mmは活動を休止してしまうのではないかという不安を抱えながら迎えた追加公演にて、まさかのアルバムリリースが発表された。

その時のあまりの驚きと嬉しさは、1年以上経った今でも忘れることはできない。

 

その数日後、滝さんが当面9mmのライブ活動を休止すると発表された。

アルバム告知で吹っ飛んだはずの不安がまた帰ってきた。

 

2017年に入り、出演するライブの告知がどんどん増え、9mmの活動は例年と変わらないペースで続いていた。他バンドのツアーにも積極的に出演しているようだった。滝さんがお休みしていても、今できる限りの活動をしていくんだな、とまた少しずつ安心できるようになった。

サポートギタリストを迎えてライブを続け、TOUR OF BABELからは各所で盟友ギタリストを2人ずつ迎え、ステージ上手前方にドラムセットを移動させた編成、通称「BABELスタイル」で多くのライブに出演した。

今年、最もサポートを務めた武田将幸さん、為川裕也さんを始め三橋隼人さん、そして石毛輝さん、辻友貴さん、西堀貴裕さんといったスーパーギタリスト達のサポートもなくてはならない存在だった。

 

 

その一方で3月、イベントに出演した卓郎さんがMCで突然話し始めた「去年活動休止も考えた」という話で、頭が真っ白になった。

それから卓郎さんは、時折同じような話をすることがあり、TOUR OF BABELの名古屋公演では、「(ツアー“太陽が欲しいだけ”名古屋公演の)ライブ中に“もうダメなんじゃないか”と思ってしまって」という話まで出てきた。

あの野音以降、私の記憶にある卓郎さんは、サポートしてくれる多くの仲間たちに「力を貸してくれ」と言うだけで、弱音は吐かず、フロントマンとしてステージに立つ頼もしい姿だけだった。もちろん、状況から考えると当然と言えば当然、だが2016年の9mmが予想を遥かに越える深刻な状態だったことを、知ることとなった。

 

 

一時期はそんな状態だったにも関わらず、9mmは立ち止まることを選ばなかった。

滝さんは9mmメンバーで居続けることを選んだ。

 

 

滝さんの代わりに卓郎さんがソロを弾き、和彦さんもベースで滝さんパートを弾き、かみじょうさんはコーラスを始めた。メンバー・チーム一丸となって「BABEL」の世界観を出来る限りの方法で表現し続け、滝さんの帰ってくる場所を守りながら戦い続けた。

 滝さんは9mmのライブは休んでも、それ以外のできることは何でもやっている、そのようにしか思えないほど積極的に活動を続け、7月には9mmライブへの一時復帰を果たした。

 

2017年を思い返すと、9mmはこれからも9mmを続けるのだと、今年完成した「BABEL」という素晴らしいアルバムで、また各地のライブで、宣言し続けた1年だったように思えてならない。

Story of Gloryで「ちょっとだけほっとして吐いた弱音」という一節が出てくるが、

9mmが活動を続けることしか考えていないからこそ、今になって活休も考えたと話せるようになったのだろうなと思うたびにこの一節を思い出す。

 

7月に9mmに一時復帰した滝さんが、年末に再び帰ってくる。

新年を迎えたらすぐ、何やらお知らせがあるらしい。

 

ただ活動を続けてくれることが、どれだけありがたいことか。

「来年の悪巧みを考えている」と、すぐ先の未来の話が出てくることが、どれだけ嬉しいことか。

 

思い返せば本当に苦難の道程だった。それでも9mmは乗り越えた。

乗り越えた先に「BABEL」という最高傑作があった。

もう9mmは大丈夫だ。

 

 

 

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